キルホーマンのモルトの投稿が2つ続いたのをきっかけに、キルホーマン蒸留所についていろいろと調べていたのだけれど、その中でふと思い出したのはとある地図のこと。手元にその地図の写真が無いためにあちこちの情報をあたってみたわけだが、結果としてアイラ島の蒸留所の歴史について調べることになったため、その内容をここに纏めてみようかと。
キルホーマン蒸留所の謳い文句としてあるのが、Farm Distillery そして 124年ぶりのアイラ島の新規蒸留所 というもの。スコットランド各地の蒸留所の歴史については以前もVizに纏めていたり 、歴史的に大きな事件(パティソン事件 )についても紹介したけれども、19世紀末の大スキャンダル以降、スコッチウイスキーを取り巻く環境は不安定となり新規の蒸留所はなかなか建設されない時代が長く続いた。
また19世紀の特に前半は、蒸留ライセンスの発行は多々あったもののビジネスとして継続できるかというとやはり難しかったようで、大小様々な蒸留所が稼働しては閉鎖する、ということを繰り返していた時代でもあった。比較的小規模かつ自前で生産した大麦をウイスキーに変えようという Farm Distillery も多く見られたが、大部分が現在まで残っていないのが実態。
アイラ島にも過去いくつもの蒸留所があったことが分かっていて、今ではいくつかのサイト(Islay Info , Kilchoman Distillery , The Lost Distilleries oof Scotland , etc…)でその情報を確認することができる。自分がそれらの名前や場所について初めて知ったのは、キルホーマン蒸留所のビジターセンターに掛かっていた地図でだった。大きな地図に、過去の蒸留所たちの情報が一覧化されていて、こんなにもたくさんの蒸留所がこの小さい島の中にあったのか、と驚いた。
こちらがその地図で、結局キルホーマンのサイトで見つけることができた。内容は最近のバージョンに更新されていますね。以前はポートエレンの復活やアードナホーの計画などは無かったので。
Image via Kilchoman Distillery
この他にも、Whisky Exchange で有名な Elixir Distillers が蒸留所建設の計画をしている他、3,4の新規蒸留所の計画が上がっているという情報も。が、いずれもまだ計画段階で着工には至っていない様子。当局の許可を得るにはかなりの時間と労力がかかることが伺える。
ところで、キルホーマンの前の最後の蒸留所、2005年から見て124年前にできた蒸留所というのは何処だったのか。様々な蒸留所の稼働情報を時系列に纏めてみると、次のようになる。(太字は現在稼働中の蒸留所)
Name Established Close Note Bowmore 1779 [Active] Daill 1814 1834 ? Ardbeg 1815 [Active] Laphroaig 1815 [Active] Octovullin 1816 1819 Octomore 1816 1840 Achenvoir 1816 1818 Lagavulin 1816 [Active] Scarabus 1817 1818 Ardmore (Lagavulin 2) 1817 1837 Lagavulinの近隣。1837年頃にLagavulinの設備に纏められたとみられる。 Ballygrant 1818 1821 Bridgend & Killarow 1818 ? 1821 ? Newton 1819 1837 Tallant 1821 1852 Bowmoreの近隣。建物はまだ残っているらしい。 Port Ellen 1825 1983 2021年に再稼働へ ? Mulindry 1826 1831 Lossit 1826 1862 Glenavullen 1827 1832 Lochindaal (PortCharlotte) 1829 1929 Ardenistiel 1836 1866 Laphroaigの近隣。Kildalton (1849-1852), Islay (1852-1866) と名前を変えながら継続。最終的にLaphroaigの設備に。 Upper Cragabus 1841 ? ??? 恐らく数年のうちに閉鎖 Caol Ila 1846 [Active] Freeport 1847 ? ??? 恐らく数年のうちに閉鎖 Bruichladdich 1881 [Active] Bunnahabhain 1881 [Active] Malt Mill 1908 1962 マッシュタンのみLagavulinと共有していた。最終的にLagavulinの設備の一部に。 Kilchoman 2005 [Active] Ardnahoe 2018 [Active] Hunter Laing社が設立
最初、閉鎖蒸留所ばかりを見ていて、2005年から124年前、つまり1881年に建設された蒸留所が無い?! なんて思ってしまったのだけれど、よくよく見てみるとブルイックラディとブナハーブン、現在でも稼働中の蒸留所があったことに気づいた……。これらがキルホーマンの前に建設された蒸留所たち。そしてその後は124年間、新規の蒸留所が無かったというキルホーマンの謳い文句になるわけだが……
……あれ? ちょっと待てよ?
モルトミル蒸留所。そうだ、これの扱いはどうなっているんだろう?
モルトミル蒸留所は、2012年のケン・ローチ監督の映画『天使の分け前』でも出てきたためご存知の方も多いと思うが、1907年頃のラフロイグ-ラガヴーリンのいざこざに端を発し、ラガヴーリン側でラフロイグと同じものを作ってしまえ、というなんともな理由から生まれた蒸留所。マッシュタンはラガヴーリンの設備を使っていたが、ウォッシュバックとポットスチルは独自のものを新たに用意して稼働させていた。出来上がったスピリッツは、ラフロイグとは異なるしラガヴーリンともまた異なる味わいだったということである意味「失敗」だったのかもしれないけれど、結局1960年台まで稼働し続け、今も設備はラガヴーリン蒸留所の一部として使われている。
ラガヴーリンの敷地内ではあったものの、別の蒸留所としても考えられそうなものだが、キルホーマン的にはこれはラガヴーリンの設備拡張だった、という認識なのだろうか。しかし、さきほどの地図にも Malt Mill がしっかりとひとつの蒸留所として描かれているし、ちょっとこのあたりはよく分かりませんね。
こうして過去を見てみると、閉鎖した蒸留所の稼働期間は数年だったり20~30年だったり、あるいは100年は続いたけれども閉鎖と様々。現在はスコットランドに限らず日本でも新興ブームとなっているけれど、このうち幾つか生き残るのか、それは何年後までか、などと考えてしまう。ウイスキーは熟成が必要なため、どうしても蒸留所が長く続くことが重要な要素にならざるをえない。その間、生活環境や消費傾向の変化があるのは必然となるため、柔軟な対応と金銭面などでの体力が必要になる。経営的にはかなり難しい事業でしょう。
今はブームという波に乗ったボーナス時期かもしれないが、いずれ苦しい時期もやってくることでしょう。応援したい蒸留所があれば、そんな苦しいときにこそ応援してあげたいものですね。